がんばることはよいことか

日本人はがんばることが好きですね。

「成果が出る/出ない」よりも「がんばったかどうか」が重視されることが多々あります。

たいした成果が出ていなくても、がんばっていれば仕事をやっていると評価され、成果を出していても、頭を使ったり工夫してラクにやっているように見えれば、悪い意味で「要領がいい」と言われたり、全力を出し切っていない、と言われてしまいます。

ここでは、がんばったかどうかを重視するグループを「がんばり志向」、効率重視のグループを「効率志向」と呼ぶことにしましょう。

「がんばり志向」の人は、たとえコンピューターで自動化できる作業であっても自動化には意識が向かず、努力して手作業でやり、充実感を覚えます。

しかし、コンピューターができることをちまちま手作業でやることは、「効率志向」の人には耐えられません。
どうにか、その作業をやらなくてよいようにしたり、ラクしてできるような仕組みを作ろうと努力します。
つまり、「努力をしない努力」を積み重ねます。

どちらも、努力しているのですが、「がんばり志向」の努力はその作業に消費されてなくなってしまいます。
一方、「効率志向」の努力は、仕組みや知見という資産として残り、次に活かすことができます。

がんばるときは、それがただがんばっているだけの「がんばり志向」の努力なのか、将来の資産となる「効率志向」の努力なのか、考えてみるようにしましょう。

ところで、「効率志向」もただ効率化をがんばっているだけでは不十分です。

「効率志向」の人が、周囲へのコミュニケーションを十分に取らずに、一気に仕組みを導入してやり方を変えてしまい、周囲の反感を買い、結果として仕組み化を失敗してしまうことがあります。

日本的な評価の環境にいる場合は、手抜きしている・ラクしていると取られないような見せ方の工夫や、反対者を巻き込んで味方にしていくことも必要です。
効率化の仕組みをうまく導入したり運用していくには、このような対人コミュニケーション・プレゼンテーションも含めた戦略も考えておきましょう。